彫刻家の素描手帳 -Sketchbook by sculptor-

京都で彫刻家として活動しています。素描を主にお見せします。In Kyoto, working as a sculptor. The show mainly drawings.The one wants to look at a sculpture, please click the "sculpture" of the left category column. Thank you!

マドレーヌ    Madeleine - about Donatello-

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*2014 CAF.N びわこ展 にこれを出品します
exhibit this

  2014/8/24-31 ※25は休館
  大津市歴史博物館 企画展示A室
  〒520-0037滋賀県大津市御陵町2番2号 ☎077-521-2100
*2014 CAF.N BIWAKO exhibition
2014/8/24-31 ※ 25 is closure
Otsu ctiy history Museum
# 520-0037, 2-2, Goryocho, Otsu-shi, Shiga ☎077-521-2100

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*8/30会場にいます

  ドナテッロについて 少し

キリスト教信者でもない私がおこがましいのですが
長年心に引っかかっていたドナテッロ作の「マグダラのマリア」に対する印象思いを
なんとか形にしたかったのです。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/Donatello%2C_maria_maddalena_02.JPG/135px-Donatello%2C_maria_maddalena_02.JPG
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%AD

マグダラのマリア晩年の苦行と悔悛の姿を表現したドナテッロのこの傑作
ボロ布を身にまとい、やせ衰えて目がくぼみ、ボサボサで伸び放題の髪の年老いた女
あたかも
―現実の表面的な美醜とは無関係に高貴な精神性=美が存在する―
とでもいうような
後にロマン派以降の芸術家たちによって大成された近代の主要命題のひとつ?の
萌芽を感じずにいられません。

もちろんサイドストーリーやエピソードで悪魔や背徳の行いなど、汚れたもの醜いものを表現した作品は古くからありますが
見かけは「貧しく汚く醜く」あっても内実は高貴である
そんな性格の作品になると先行するものにあまり心当たりがありません。
(マグダラのマリアも美しかったり可愛かったり少し時代が下ると蠱惑的であったり・・・)
だからこそイタリアルネッサンスと言えばそれまでなのですが。。。

「馬小屋で生まれた大工の息子」や「風変りな野人ヨハネ」を聖なるものとして身近に感じる精神的風土はやがてそれを生みだすのかなと考えてしまい興味が尽きないことです。


ところでドナテッロは古代ギリシャローマ以来久しく途絶えていた彫刻表現における「コントラポスト」を
文字通り「復興」させた彫刻界における大功労者であることも忘れてはならないことです。
彼の功績の上にミケランジェロのダビデの勇敢な立ち姿があり
ロダンの格闘を通過しブールデルへとつながっている。
現在、西洋美術の系譜の彫刻を学び制作している者は人体を扱う扱わないに関わらず等しく彼がリセットした造形思考の平面上にいると言って差し支えないのではないでしょうか。
以前以後で全く違うという意味で、ちょうど絵画におけるジョットが果たした役割にたとえることができますか。
(正確を期するならドナテッロとその周辺、ジョットとその周辺ということでしょうが)


随分前に
「ポストもの派」世代とされる高名な彫刻家の方とお話しさせていただく機会がありました。
その方は彫刻表現におけるコントラポストを含む「コンストラクション」を
-(何かを表現したいという欲求を持つ個々の人間の存在をないがしろにし:筆者補)権力と並走する、あるいは権力そのものと言ってよい排除すべきもの-
と認識されていたのは印象的なことでした。
その方は絵画における四角、カンバスの四角、紙の四角についても同様の認識をお持ちでした。

「芸術」というものが権力を入れ子として組み込まれそれを敷衍する装置になりはてる。

しかしながら「コンストラクション」という要素を「彫刻」から排除すると他の立体的な表現、工芸建築(とされているもの?)など実材を扱う表現との区別ができなくなってしまうのではないか。
そうなっても「彫刻」は可能であるのか?

ところがその方は「彫刻」「彫刻家」という呼称にたいそう愛着とこだわりを持たれていた。愛していらっしゃった。
さてどうしようか。。。。。
お話の最後には「彫刻」という用語の起源と使用の正当性を語っておられたと記憶しています。
それほど「彫刻」を愛しておられた。


あれから随分時間がたってしまい今ではどういう認識でおられるのか
私の解釈はこれでよいのか
知る由もありませんが。


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